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私の原点 -教育工学との出会い-

1.はじめに

 私的なことで申し訳ないが、私は昭和40年に兵庫県立の定時制高等学校で新米の教員として教壇に立った。その学校の生徒たちは、高度成長の日本を支えるため、昼は養成工として工場で働き夜は学校で学んでいた。
 生徒たちは、会社の都合で学校に遅刻したり、休んだりせざるを得ない状況にあった。従来の一斉講義をしていた私は、「前回の授業を聞いていないのに、あるいは、遅刻してきて授業の途中からでは、今話している私の授業の内容が理解できるはずがない」と苦悶しながらも、私もそのようにして学んできたので、その生徒に対応せず一斉授業を続けていた。
 時を同じくして兵庫県に日本で最初に誕生した教育工学研究会に参加したことで、この悩みを解決する糸口が得られ、私の教育工学研究の原点になった。

2.昭和40年代の兵庫県

 前述したが昭和40年は、当時の兵庫県教育委員会指導主事の故内岡久吉先生が教育工学的手法による教育改革を推進され兵庫県教育工学研究会が誕生し、教育改革が盛んな時代であった。
 当時は、サイバネティックスや自己学習のためのプログラム学習理論が提唱され、ティーチングマシン、シンクロファックス、ビデオテープレコーダー、カセットテープレコーダー、OHP、レスポンスアナライザーなどの教育機器が続いて登場した。
 プログラム学習とは、スモールステップの学習ともいわれ、学習内容をできるだけ小さく分割し、一つひとつのステップに学習者が反応できるように記述式や選択型の確認問題を入れて、学習者は答えを確認しながら階段を一歩一歩登っていくように学習を進めるもので、多くは印刷教材として紙メディアで作られていたがペーパーマシンと呼んでいた。昼寝の枕「プログラムドブック」といわれたぐらい多くの学習教材が作られた。
 シンクロファックスとは、A4サイズの厚い目の紙の裏面に磁性体が塗ってあり、3分間の録音が可能で、表面に書かれた説明と録音された声を聴いて学習できる機器で、どこででも再生と停止が可能で、自分のペースで学習できた。
 カセットテープレコーダーの登場で、クラス人数分の教材を作り授業で使ったり、復習が必要な学習者には、再生専用のカセットテープレコーダー付きでテープを貸し出したりした。ビデオテープレコーダーは、教員自身による教材の作成を可能にした。
 レスポンスアナライザーは、学習者の理解度を調べるもので、選択肢の発問に対して、学習者がそれぞれボタンを押すことで、教員にその結果が瞬時にフィードバックされるものであった。
 これらを用いて、個に応じた学習を展開したり、一斉学習の中では、チョークと黒板の授業だけでなくビジュアルな提示をしたり、個々の学習者の理解度を把握しながら授業を進めたりすることが可能となった。
 これらは、チョークと黒板中心の一斉指導の教育方法に対して、新しい教育改革として注目され、兵庫県では「教育工学研究の指定校」として当時のお金で一校あたり100万円の予算化がされた。
 これらの試みは、「従来の一斉授業のスタイルを脱却し個別学習などの新しい学習スタイル」と 「一斉学習の中においても学習者個々の状況を把握し、いかに個に対応するか」への兆戦であった。

3.自己学習のシステム

 私が実践していた理科の自己学習のシステムを紹介する。その理由は、一斉授業のスタイルでなく思い切って自己学習を中心にした個別学習の授業スタイルを試みたからである。
 教室の配置と機器の配置は図1のとおりである。階段教室を利用した学習室には、長机を取り払い四人用の生徒机と中央に8チャンネルのカセットテープレコーダーを置き、生徒机からチャンネルを合わせると聴けるようにした。教卓はカウンター形式にして直接生徒の質問や相談に応じられるようにした。廊下にはシンクロファックスを配置した。実験室は、個人で実験ができるように準備 室を改良した。
 主教材として、プログラム学習の各ステップを一枚ずつ卓上型日めくりカレンダー形式に加工し、一枚ずつめくりながら学習を進めることができるようにした。各ステップには四肢選択の確認問題が埋め込まれ、正解か誤答かは図2のような自作の四肢選択式正誤判定器でランプの点灯でフィードバックし確認できた。補助教材として、紙メディアだけでは説明しきれない部分や学習の刺激を高めるために、先生の説明を聴きながら学習できるテープ教材と各ステップの確認問題に対応したヒント教材をシンクロファックスで準備した。実験のための説明教材は、プラスチックシートに入れ見ながら実験できるようにした。学習の手順はフローチャートを作り配布した。
 学習はフローチャートに従って卓上型の日めくり教材を読み、確認問題の正誤を四肢選択式正誤判定器で確認しながら進める。どうしても確認問題が理解できない場合は、自ら廊下に移動して、シンクロファックスのシート教材を選び、画面の説明をイヤホンで聴きながら学習し、納得できれば学習室に戻って学習を続ける。納得できなければ、直接先生のカウンターにいき質問する。テープ教材があるところまで学習が進むと、自らテープレコーダーのところにいき、指示された教材ナンバーのテープを空いているテープレコーダーにセットしてチャンネルを確認し、自分の席に戻ってチャンネルを合わせ聴きながら学習をする。実験のところまで進むと、先生に了解を求め、実験室へ移動して、助手の指示に従って個別実験をはじめる。高校一年生であったが十分に自己学習が可能であり生徒の満足度も高かった。

図1 個別学習のための教室の設計


図2 四肢選択式正誤判定器とクリスタルイヤホン

4.実践でわかったこと

 このような学習システムで授業を続ける中でいろんな発見や問題点が明らかになってきた。実験室は図1を見てもわかるように、12人分しかない。しかし、実験は毎時間あるわけでなく、また、個別学習なので学習進度が異なるため、これで十分である。テープレコーダーや廊下にあるシンクロファックスの補助教材の台数も同じ理由で生徒の人数分は不必要である。  授業中の先生の仕事も全く異なってくる。用意周到な教材の準備さえしておけば、喋らなくても授業は進むので、授業中はもっぱら、生徒にやる気を起こさせたり質問など個々の生徒に対応したりすることが主な仕事になる。私は一斉に喋らなくても授業が成立することに快感さえ覚えたことを記憶している。
 大きな問題は、自己学習であったので学習の進度差が大きくなり、遅れている生徒が放課後に時間を使って補充したとしても、なかなか進度差が縮まらなかったことである。また、放課後はクラブ活動など一人一人にはそれぞれの生活があった。当初は、遅れている生徒は先生が丁寧に指導し、本人も時間を割いて努力すれば追いつくことが可能だと判断していた。
 目標が東京とすると、進度の遅い生徒には新幹線で、早い生徒には、周りの景色をゆっくり見ながら普通列車で行けるように、教材を基礎基本に絞り、アドバンスコースなどの教材を準備し試行錯誤した。しかし、それでも時間は無限にあるわけでなく有限であるという壁にぶつかってしまったのも事実である。
 一斉学習で形式上は教科書を最後まで終えることができるが、理解できなかった生徒にとっては、自己学習で教科書の半分でも理解し納得して学習した方が充実感もあり、学ぶということに自信を持つこともできる。でも、教科書が半分しか学んでいない生徒がいることや、一斉試験への対応、次の学年への引継など、今の日本の制度の中では問題点もあり解決は難しく矛盾を抱え悩んだ。

5.おわりに

 私はこの世界と出会い本当に授業のスタイルが変わると真剣に信じていたが、残念ながら実践研究の域を出ず、黒板とチョークの一斉学習が現在まで延々と続いてきた。
しかし今でも、自己学習型の個別学習は授業方法を考えるときの原点であると思っている。
 現在、情報技術の進展と共に学校にもコンピュータとネットワークが導入され、昭和40年代のことが再現できる環境が整ってきた。というより、さらに様々な教育方法が可能な時代になったのではないだろうか。




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