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学校経営における情報化推進の意義と必要性

1.はじめに

 戦後学校教育法が制定されてから、63年になるがその間、学校は進化してきたのだろうかと考えると、私の子どもの時代と大きく変わっていないような気がする。過去のノウハウが蓄積され生かされてきたのだろうか、達人といわれる先生が退職されたら、その貴重な財産は退職と共に消えてしまっているのではないだろうか。職人的な人から人への伝承はあっても、意識して伝承しようとする仕組みもない。形になったものが残っていないのが現状のような気がする。
 コンピュータが学校に導入されたが情報化が進んだかのだろうか。もちろん「情報教育」や「授業でのコンピュータ活用」は進んできている。しかし、学校は改革されただろうか。活性化しただろうか。コンピュータがなくても支障がないのではないだろうか。
 以前は、コンピュータが使えた校長先生は貴重であったが、趣味の範囲を出なかった場合が多く、学校経営にいかに使うかという視点がなかったのではないだろうか。コンピュータに夢中になっている姿を見て、先生からは、「校長先生としてもう少し他の点で努力してほしいという不満」もあったのではないだろうか。逆に、大多数の校長先生は、定年まであと少し、できれば避けてとおりたいというのが本音ではなかっただろうか。最近は、避けて通れない時代であることを認識されている校長先生も多くなったが、どうしていいのか悩んでしまっておられるようである。
 コンピュータが得意な先生は、我が意を得て生き生きされているが、効果がないものにまでコンピュータを使う先生、仲間に広める努力が面倒で何でも自分でやってしまう先生、仕事が一極集中して悲鳴を上げている先生など多様である。不得意な先生は、どうしても一歩前に進めなくて困っておられ、結果として忙しくて時間がない、使わなくても問題はない、教育は人間味が大切と開き直ったり、できる人に任せてしまったり、これまた多様である。
 学校経営という視点から見ると、コンピュータは一部の人が使えても意味がなく、組織として皆で使わないと効果が発揮できないものである。企業においては、テクノストレスという言葉も古い言葉になってしまったぐらい、すでにコンピュータはインフラとして定着し、なくてはならないものになっている。

2.情報社会の視点から

 歴史には区切りはないが、狩猟採集社会が300万年、農耕社会は1万年、工業社会は250年、情報社会が1990年ころ始まったと仮定するとわずか20年である。このように見ると社会の変遷は指数関数的に加速していることがわかる。このことからも情報社会が延々と続くわけではないことも明らかである。
 昔は学校で習ったことは一生涯役に立ち、開発した商品も成功すると同じものでもずっと売れ続けた。これは変化の速度がゆっくりしていた時代であったからである。新幹線や飛行機の日常化で、東京への出張は日帰りになり、インターネットの登場で情報の伝達速度は瞬時になった。すなわち、時間の流れが加速し、例えばコンピュータを使えば100日かったことが1日もかからなくなってしまった。この時間軸の加速で、日々改革、日々創造の時代になり、新しいものが次から次へと登場し、日々同じことをしていては付いていけない社会になってしまった。学ぶことも一生涯続けなくてはならない時代である。
 当然生活様式も大きく変化し始め、情報があふれた社会、ケータイというアンテナの付いた人間、生活のパターンが変化した家庭、任天堂のDSを上手に操る幼児など、学校に入学するまでの子どもの環境も変わっている。
 アルビン・トフラーは「第三の波(1980)」で、第二の波の時代「規格化、分業化、同時化、集中化、極大化、中央集権化」を、第三の波「非マス化、多様化、分散化、適正規模、分権化、生産者=消費者の復活」が攻撃していると述べ情報社会の姿を予測した。
 スカリー(アップル社元社長)は「経営パラダイムの変化」(早川書房1988)で、組織は「階層性」から「ネットワーク型」へ、アウトプットは「市場のシェア」から「市場の創造」へ、重点は「組織」から「個人」に、強さの根源は「安定性」から「変化」へ、品質は「コストに見合うベスト」から「妥協な」しに、「硬い構造」から「柔軟性」に、「自給自足」から「相互依存」に、「現金」から「情報」に、優位点は「より同質的」から「意味ある違い」へと変化していると述べている。
 組織について詳しく述べれば、インターネットの登場で、階層を越えたコミュニケーション、部局を超えたグループの誕生などネットワークによるフラット化が進んでいる。また、情報が伝わる範囲に力が働く時代になり、情報の価値はお金では置き換えることが出来ないぐらい変化している。
 このような時代の変化のなかで、学校だけが古い時代の状況から脱却できていないのではないかと心配している。見方を変えれば、伝統を守っているのではと感じてしまう。

3.コンピュータ以前の問題

 学校経営にコンピュータを活用する以前に、学校でコミュニケーションが円滑になされているかどうかが一つのキーワードになる。情報化はコンピュータのみでおこなうのではない。日常的に校長先生に対して、あるいは先生間で、「ほうれんそう」が定着しているだろうか。また、思いを伝えるために、十分なコミュニケーションをしているだろうか。10喋って1ぐらいしか伝わらないのが現実である。私の経験からも若いときはそうでなくても、歳をとるほど1喋って10理解してくれると思っている人が多い。また、私にとっては残念ではあるが「酒コミュニケーション」の時代でもなくなってきた。コミュニケーションのスタイルが変化してきている。
 私の勝手な考えであるが、「形伝受共流」を紹介する。これからの時代のコミュニケーションに必要なのは、思いを形にする力、伝える力、受け取る力、共に高まろうとする姿勢、時間の流れを意識できることだと思っている。思いを「言葉」だけでなく「文字」や「図」のような形のあるものにする力はネットワーク社会では大切である。また、一人では十分なことが出来ない時代だということを認識し、共に高まるなかで組織として大きな成果を生み出そうとする姿勢を持つことが大切である。さらに、時間の流れが加速しているなかで、時間を意識してその場その場の時間の流れの速度を読み取ってコミュニケーションに参加することも大事である。
 情報化したときに成功するのは、以上のような前提がある場合であろう。というより、このような前提が出来ればおのずから情報化に発展すると思う。

4.学校経営と情報化

 校長先生の仕事は学校経営であるが、「熱心な先生」、「子どもの好きな先生」だけでは校長先生の仕事はできない。私は「学校の共有ビジョンを明確にし、その達成のために組織を最高の状態に保つこと」が優れた学校経営に求められていると思っている。そのためには、高い教育経営者としての見識とリーダーシップとコントロール力が必要であろう。リーダーシップとコントロール力はコミュニケーション力でもある。
 すでに述べたが、学校を取り巻く環境は大きく変化してきたし、多忙、情報過多、時間が加速している現状では、もはや、従来の対面だけの手段では学校経営は実現しないと考える。学校の情報化の必要性を認識すると共に、情報化を推進することは緊急の課題である。
 学校の情報化は大きく3つに分類できる。1つ目の「教育の情報化」である。これはコンピュータの導入で「情報教育、授業での情報活用、教材作成などでの活用」で推進されだしたが、問題点は、先生の個人差が大きく、組織で取り組めていないことである。
 2つ目は「校務処理の情報化」で効率化、合理化にむけて、それぞれの学校で程度の差はあるが進行している。問題点は、過去に手操作でしていたものを機械化しただけの場合が多く、今まで出来なかったことをコンピュータの力を利用して実現するところまでの発想がない。
 3つ目は「運営手段としての情報化」で、これは学校では進んでいないのが実情である。情報化の特徴として「情報の収集、情報の伝達・発信、情報の共有、情報の双方向性・広域化」などがあげられる。また、情報化がもたらすものとして「透明化、積極化、活性化、協調化、共に高まる意欲、わかり合う喜び」などがある。これこそ学校経営のインフラになるものである。
 ビジョンの共有と実現のためのコミュニケーションや作業は、校長先生も先生方も多忙な業務に追われ十分な時間が取れないのが実情であろう。まず、コミュニケーションの道具としてのグループウェアの活用である。グループウェアは、すぐに皆が活用できるものではない。しかし、連絡や会議室など段階を追って導入していけば活用できるようになる。学校に来てコンピュータの電源を入れると、グループウェアの初期画面が開くようにして、グループウェアを先生のポータルサイトにして、使わなければならないようにすることである。
 また、広報、情報公開、説明責任を積極的に進めるための、ケータイも含めた個性的な特色あるWebページの活用である。すでに述べたが、情報が伝わる範囲に力が働く時代である。学校要覧はそれぞれの学校で作成されているが、何のために作られ何部作られて誰に配っているのかとなるとWebページの方がはるかに効果的である。
 ただ、紙媒体も有効であるので、できるだけ二度手間が省けるようにWebページと共通利用する方向で工夫が必要である。

5.情報推進化の組織をどうするか

 学校におけるCIOすなわち情報推進リーダーは誰かというと、情報担当の先生ではなく校長先生である。情報化に理解を示しながらも、コンピュータがよくわかっているということだけで、情報の担当の先生に任せている状況をよく見る。情報担当の先生は、コンピュータはよくわかっていても学校の経営者でもなく権限もない。権限がなければ強力に情報化を推進することも出来ない。
 また、学内の情報化を進めるのに委員会がある学校が多い。委員長は情報担当の先生の場合が多い。すでに述べたように「教育の情報化」や「校務処理の情報化」のみが学校の情報化ではない。この2つだけでも校長先生のリーダーシップが必要であるのに、さらに「運営手段としての情報化」を推進する前提なら、学内の情報管理者は部長クラスでなければと思う。
 Webページは学校の顔である。だから、コンテンツの内容は校長が率先して書くべきであるし、それぞれの役割に応じた部署で責任を持って作成すべきであり、内容は校長が責任を持つべきものである。このためにも校長の強い関心とリーダーシップが求められる。Web化するのは、お金があれば外注できるし、そうでなければ技術を持った人に校務分掌として任せればよい。
 このような点から、情報推進の組織は、一般の委員会の組織と同列でなく、校長直轄の組織として位置づける必要がある。しかし、学校全体の組織から遊離し限られた先生で運営するのではなく、多くの各部署や学年、委員会の先生を巻き込み、一部の先生の局地的負荷を解放するとともに、データの属人化、集中化を防ぐ必要がある。収集し蓄積する個人情報や校内の様々なデータについても種類や内容ごとにその責任者を決め、責任を持って収集・管理することが大切であるし、Webページならば、それぞれのコンテンツの責任者を明確にしておく必要がある。
 さらに、学内の情報倫理規定やネットワーク利用規定の作成、著作権の問題や個人情報などについても、それぞれの教育委員会と協議しながら明確にし、すべての先生と児童生徒が了解の下で利用申請した上で、コンピュータシステムを活用するようにしなければならない。

6.おわりに

 以上述べてきたが、学校の情報化は大変だと思われ、一歩引いてしまわれないか心配である。しかし、一般企業も含めて情報社会で組織を維持し発展させるには当然のことなのである。そうしないと学校は情報社会に一歩踏み出せないままになってしまう。教育委員会の情報化推進リーダーと連携をとりながら前進してほしい。学校の情報化は、校長先生のリーダーシップにかかっている
 最後に、しり込みしておられる校長先生に一言。様々な社会でコンピュータがどのように使われているかを積極的に理解し、学校経営に置き換えて、役に立つか立たないかを考えてみる。校内では、コンピュータが得意な先生がコンピュータで何をどのように変えようとしているかを明確につかみ、校長先生としてあるべき姿を教示する。このことは、コンピュータを知らなくても出来ることである。コンピュータが使えなくても、コンピュータの場から逃げ出さないで、情報社会の現状を理解し、時間の方向を未来に向けて学校経営を考えていくと、情報化との接点が見えてきて、学校経営とコンピュータ利用の方向性がわかってくるであろう。

 校長先生のお仕事も十分理解しないまま、私の想像で書いた部分が多々あり、失礼なことや現状に合わないこともあったのではと思うがお許し願いたい。




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